別冊チョコレット

右でも左でもない下だ

早川徳次と手塚治虫

前回の続きです。

石原時計店は1850年創業の(生駒時計店より20年早い。)老舗です。
実は、大阪というか日本の隠れた歴史に名を残してます。

国産ラジオ、国産テレビの第一号はシャープ製というのは、わりと知られた話ですが。
なんと、シャープがシャープペンシルから、突然、家電に鞍替えしたキッカケが、
創業者の早川徳次が、心斎橋の石原時計店で出会った1台の米国産ラジオ。
この1台を元に研究して国産第一号のラジオが生まれたそうで。
今日の家電王国日本の礎の一つが石原時計店と言ってもいいんじゃないですか?

もうひとつ、日本の誇る文化に漫画がありますが、
漫画の神様と言えば、つげ義春でも藤子不二夫でもなく、手塚治虫ですね。
なんと、小学生の治虫少年を、できたばかりの四ツ橋の電気科学館
(東洋初のプラネタリウムが設置されてた)に誘い、
天文、科学好きになるキッカケを与えたのが、小学校の同級生で現在石原時計店社長の実さんだそうです。
電気科学館に通い詰めることになる治虫少年。
電気科学館が石原時計店の近所にあったからこそ、小学生の治虫少年でも入り浸れたことだろう。
昆虫採集とかも実さんに誘われて始めたみたいです。(名前に虫がつくキッカケも実さんか。)
医者になり、漫画家になった手塚治虫にかなりの影響与えてますね。
今日の漫画、アニメ王国日本の礎の一つが石原時計店と言ってもいいんじゃないですか?

石原時計店のすごさは解ったけど、ここで気になるのは、前回の記事の「 I 時計店の息子」が実さんかどうか?
どうなんでしょう?